名所になっているもの (その3)

虎ノ門にある国立印刷局は、佐賀藩鍋島家の中屋敷の跡地に建っている。
赤坂サカスは、広島藩浅野家の中屋敷の跡地に建っている。
原宿の明治神宮は、彦根藩井伊家の下屋敷の跡地に建っている。
新宿御苑は、高遠藩内藤家の四谷内藤新宿下屋敷の跡地に建っている。
本駒込の六義園は、郡山藩柳沢家の下屋敷の跡地に建っている。
麻布の有栖川宮記念公園は、盛岡藩南部家の下屋敷の跡地に建っている。
白金台の八芳園は、薩摩藩島津家の下屋敷の跡地に建っている。

名所になっているもの (その2)

赤坂にあるアメリカ大使館は、牛久藩山口家の上屋敷の跡地に建っており、アメリカ大使館の宿舎は、松代藩真田家の中屋敷の跡地に建っている。
三田にあるイタリア大使館は、伊予松山藩久松家の中屋敷の跡地に建っている。
高輪にあるオーストリア大使館は、会津藩松平家の下屋敷の跡地に建っている。
虎ノ門にあるホテルオークラ東京本館は、川越藩松平家の上屋敷の跡地に建っている。
浜松町のシンボルである世界貿易センタービルは、小田原藩大久保家の上屋敷の跡地に建っている。
三田にある三田国際ビルは、久留米藩有馬家の上屋敷の跡地に建っている。
六本木にある国立新美術館は、宇和島藩伊達家の上屋敷の跡地に建っている。
赤坂にあるホテルニューオータニは、彦根藩井伊家中屋敷の跡地に建っている。
同じく赤坂にあるアークヒルズのサントリーホールは、川越藩松平家の中屋敷の跡地に建っている。

名所になっているもの (その1)

赤坂にあるグランドプリンス赤坂は、御三家の一つ紀州藩徳川家の上屋敷の跡地に建っている。
また赤坂御用地は、紀州徳川家の赤坂中屋敷の跡地に建っている。
霞ヶ関の外務省庁舎は、福岡藩黒田家の上屋敷の跡地に建っている。
同じく霞ヶ関の法務省庁舎は、米沢藩上杉家の上屋敷の跡地に建っている。
六本木ヒルズにある毛利庭園は、名前からもわかるとおり長州藩毛利家の上屋敷の跡地に建っている。
汐留シオサイトの東京汐留ビルディングは、仙台藩伊達家の上屋敷の跡地に建っている。
同じく汐留シオサイトの電通本社ビルは、龍野藩脇坂家の上屋敷の跡地に建っている。
さらに汐留シオサイトのホテルヴィラフォンテーヌ汐留は、会津藩松平家の中屋敷の跡地に建っている。
有楽町の東京国際フォーラムは、土佐藩山内家の上屋敷の跡地に建っている。
同じく有楽町の帝国劇場は、鳥取藩池田家の上屋敷の跡地に建っている。

大学等の学校になっているもの

大学等の学校は、広大な敷地が必要であり、特に明治維新によって一般市民もより教育が必要とのことから、多くの学校を建設する必要があった。
江戸城無血開城により、江戸城のみならず江戸城近辺の藩邸も無傷であった為、これらの敷地をそのまま流用することが一番簡単であった。
藩邸が大学等学校になったのは以下の通りである。※東大と上智大学は説明済み
・渋谷にある青山学院大学は、西条藩松平家の上屋敷の跡地に建っている。
・三田にある慶應義塾大学は、島原藩松平家の中屋敷の跡地に建っている。
・文京区にある拓殖大学は、大垣新田藩戸田家の下屋敷の跡地に建っている。
・三田にある港区三田中学校は、森藩久留島家の上屋敷の跡地に建っている。

防衛省庁舎

市谷にある防衛省庁舎は、御三家の一つ尾張藩徳川家の上屋敷の跡地に建っている。
他にも尾張藩徳川家の藩邸跡地は、そのまま利用されるケースが多い。
例えば、新宿区の戸山公園は、尾張藩の下屋敷の跡地であり、下屋敷時代には有名な大名庭園であった。
また上智大学は、尾張藩徳川家拝領屋敷の跡地であり、現在移転問題で揺れている築地市場は尾張藩の蔵屋敷の跡地である。
跡地に建てられた施設を思うに、どれも大変広大な敷地であったことが伺われる。
さすが御三家筆頭である。

NEC本社ビル

三田田町にあるNEC本社ビルは、薩摩藩島津家の上屋敷の跡地に建っている。
この上屋敷のすぐそば、歩いて2、3分の場所に薩摩藩の蔵屋敷もあった。
前述の通り、蔵屋敷は海運を前提としている為、川や海の側に建てられる。
江戸時代、田町は海のすぐそばで、JR山手線の線路がちょうど海岸線に沿っていると言っても過言ではない。
さて、江戸城無血開城は、幕末においてとても有名な事件であり、この無血開城を決める為に江戸幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛が会談を行った場所が、この薩摩藩の蔵屋敷であった。
しかし、なぜすぐそばにある薩摩藩の上屋敷で会談を行わなかったのか。
それはこの会談の数ヶ月前に、戊辰戦争の発端ともなるかの有名な「薩摩藩邸焼き討ち」事件によって、上屋敷が焼けた後だったので代わりに蔵屋敷にて会談を行ったのである。

小石川後楽園

小石川後楽園(東京ドームの隣)は、水戸藩徳川家の上屋敷の跡地に建っている。
厳密には、跡地に建っているというより、上屋敷内の日本庭園がそのまま今に残っていると言った方が正しい。
この上屋敷の庭園は、水戸藩主徳川頼房が築き、「後楽園」と命名された。
隣接する東京ドームが建てられる前は、後楽園球場が建っていた。
この後楽園球場の「後楽園」はこの庭園の名前から付けられた。
ちなみに後楽園という全く同じ名前の庭園が岡山県にも存在し、これらを区別する為に東京の後楽園は「小石川後楽園」と称するようになった。

東京大学本郷キャンパス

東大本郷キャンパスは、加賀藩前田家の上屋敷の跡地に建っている。
東大のシンボルとして有名な赤門ですが、赤門は東大の正門ではない。
赤門は、上屋敷の名残で、正式名称は「旧加賀屋敷御守殿門(きゅうかがやしきごしゅでんもん)」という。
御守殿とは、大名に嫁いだ徳川将軍家の娘の敬称であり、御守殿門は御守殿専用の門であった。
東大の赤門も徳川11代将軍徳川家斉の溶姫が加賀藩12代藩主前田斉野泰との婚礼の際(1827年)に建造されたものである。
御守殿門(赤門)は、火事などで消失した場合、一般的に再建することは許されていなかった為、現存している赤門は大変貴重なものである。
また夏目漱石の名作「三四郎」から名付けれらた三四郎池は、元々上屋敷時代の日本庭園内の池であった。

蔵屋敷とは

蔵屋敷とは、藩が江戸にて地元の年貢米や名産品を販売する為に使用した倉庫や屋敷を指す。
前述の下屋敷の説明でもあったように、下屋敷も同じような機能を果たしていた為、下屋敷が蔵屋敷として機能を兼ねることもあった。
蔵屋敷は機能の特性上、海運を用いて荷物を運搬していた為、隅田川や江戸湾(東京湾)の沿岸部に多く建てられた。
江戸藩邸の1つとして蔵屋敷を挙げたが、一般的に蔵屋敷は大阪にあるものが有名である。これは、蔵屋敷の多くが商業都市に建設されることを示している。

下屋敷とは

下屋敷とは藩主の別荘としての役割が大きく、大規模な庭園も造られた。
ほとんどの下屋敷は江戸城から遠く離れた江戸郊外に造られた。
また下屋敷は上屋敷や中屋敷と異なり、江戸で複数持つことができ、上屋敷と中屋敷に比べ敷地の規模が大きいものが多い。
また庭園だけでなく、藩主が住む上屋敷に食材を供給する為に菜園が造られたり、立地が海岸付近であれば海運の荷揚げ場としても利用された。
地元から送付される米や名産品を貯蔵する場合もあったし、江戸の街中では火事が多かったことから、藩主の避難場所になったり、火事から上屋敷が復旧するまでの仮の屋敷になることもあった。
さらには火事で燃えてしまった上屋敷の代わりに、下屋敷が上屋敷になった例もある。